回答終了 カードホルダーの行動とカードの印象

当サイトには「PR」が含まれます。
スポンサード リンク

このエントリーをはてなブックマークに追加
質問ID:8949 現在までの回答数: 7件 今年度質問ランキング:1位 今年度回答ランキング:3位
既に回答は締め切りました。

質問内容

皆さまはカードホルダーの行動と
カードの印象(ステータス)に相関関係はあると思いますか。
体験談をもとにお聞かせいただければ幸いです。


以下、私の体験談です。


先日、とあるお店で買い物をした際の出来事です。
AMEXゴールドで決済しようと考えていた時のことですが、
前のお客さんが店員と喧嘩をしていました。
理由はカード裏面の署名が無いことです。
また、そのカードがAMEXプラチナ(金属製)でした。
結局そのお客さんは署名しましたが、
他のお客さんにも迷惑が掛かり、とっても印象が悪かったです。
また、高い年会費を払っている立場なのに、
クレジットカードのルールも知らないのかと疑問に思いました。

そして、自分が会計する番になったとき、
気づかれないようにAMEXゴールドをカードケースにしまい、
別のカードで決済しました。
また、AMEXゴールドを継続するかしないか迷っていたところでしたが、
解約の方向に向かう気持ちが少し強くなりました。

投稿日時 2019/12/31 20:55

補足内容

回答ありがとうございます。
本日から明日にかけて多忙のため、
誠に勝手ながら返信が遅れます。

投稿日時 2020/01/01 14:10

補足内容

返信までもう少々お待ち下さい。
申し訳ございません。

投稿日時 2020/01/06 15:49

fuzitasoft さんからのお礼

皆さま回答ありがとうございます。

体験談を含めた回答でとても参考になりました。
今回、私が気にしすぎであるという結論に至りました。
ベストアンサーは最初の回答者であるEASさんといたします。

最後に友人が気になる話をしていたので、それを紹介します。

===========

ルールを守れない人はとてもおかしな人に見えるんだ。
例えば、法律を守らない日本人がいたとする。
それは外国人から見ると、おかしな人に見える。
別の例として、飲食チェーンに食事に行ったとする。
そこの従業員が、制服を正しく着こなせなかったとする。
それはお客さんにとってはとてもおかしなことに感じる。
自分たちのルールも守れないのかと。
学校では校則だから守れという指導をするが、
なぜ守らないといけないのかを教えることができない。
正確に言えば、教師も守らなければならない理由を理解していない。
何故ならば、小学生にも分かるように説明することができないということは、
それは自分自身が理解できていないということだからだ。

===========

今回の私の体験談についても、
友人の話が当てはまってしまうような気がしました。

以上です。
回答ありがとうございました。
またの機会をお願いいたします。

投稿日時 2020/01/14 05:07


この質問は役に立ちましたか? 
2人の方が、「この質問が役に立った」と投票しています。

Q&A検索

並び替え ベストアンサー | 最新順に表示 | 回答順に表示 | 役立った順に表示
回答ID:53503 ベストアンサー 今年度質問ランキング:3位 今年度回答ランキング:2位

回答内容

こんばんは。


>カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係はあると思いますか。


私個人的には、「ない」と思います。
カードは審査に受かって年会費を支払えれば、誰でも持てるので。
身も蓋もないですが、胡散臭いお金であっても、延滞等一切なく問題を起こさず、多額の決済をしてくれる会員の方がカード会社も嬉しいでしょうし。


そもそも店員さんが見ているのはカードではなく、お客さんであるので、AMEXであろうが色が仮に黒であろうが緑であろうが全く気にしていないと考えます。
ただしその店員さんも我々クレファンの一員の様に「ある種のカードマニア」であるならば、それはそのカードを見るかも知れません。
クレファンに集う面々は常にカードに関して注意深く観察していますが、一般の人は現実問題何も考えていないと思います。
ですからfujitasoftさんがAMEXのゴールドを出しても、社会人としての対応を普通にされていれば向こうも何も思わないです。


私は世間でもよく知られた富裕層と呼ばれる人物を何人か知っていますが、ご本人の本カードはセンチュリオンなのに、みんなの前で(その方の奢りで)会計をする際は、ACカードがプラチナだったりグリーンだったりで、いろいろと配慮されているのだなぁと感じる事があります。


ですのでカードというよりも、その人物がステータスですよね。


また私はセンチュリオンを所有している人間よりも、チェリー・ブロッサムに招待される人間の方がはるかにステータスを感じます。

長年付き合いのあるお世話になっている方の何人かが毎回チャリティーに出席していますが、カードを出す機会を見ていると大抵銀行系のカードを出していますね。
また高級フレンチに行くと、真ん中の華席を頼んでもいないのに用意されます。


fujitasoftさんは、少々考えすぎの様な気がします。


AMEXは一度破綻して政府から助けて貰った会社ですし、そういった意味では底辺の会社のカードという事になりますからステータスなぞありません。

投稿日時 2019/12/31 23:01

回答補足

fujitasoftさん、少しこの場をお借りさせて下さい。


AMEXを愛用されていらっしゃる皆様、AMEXに対し辛辣な私見を述べましたが、お気に障りましたらお詫びします。
私のカード履歴では、AMEXが最も長いです。
16年までは行かないですが、15年以上持ち続けています。
何故所有しているのかと言えば、私にとって頼りになるカードだからです。


ただし、AMEXというブランドが好きという事ではありません。
クレファンに集う方々はカードを(例えば券面1つにしても)好きか嫌いかどちらでもないかで判断されておられる方も少なくありませんが、私はカードに好き嫌いはありません。


あくまでも私個人がそのカードを持つ事により、私がより豊かに、そして少しでも暮らしやすい生活の手助けをしてくれると考えてです。
年会費の高さは確かに気になりますが、ただし「有事の際には」その金額を上回る頼れる存在であると考えているから今でも、そして今後AMEXとの間でAMEXに対し「明らかにそれは違う」というようなトラブルでも起きない限り、生涯持ち続けようと思っているカードの1枚でもあります。


繰り返しますが、私はカードに関しては「必要だから」持つだけであり、それ以外の何物でもありません。
ですから常にニュートラルな気持ちでいますし、決して「AMEX下げ」といった考えも皆無ですし、過去に遡ればAMEXに(提供しているサービスの範囲内で)助けて頂いたり、助け船を提案して頂いておりますので、個人的なイメージは全く悪くはありません。


ですが昨今のAMEXは、会員数を増やしたいが為に会員をどんどん入会させて、時には非情に対応している現状を知ると、?としか思えません。


営利企業なので利益を追求するのは勿論ですが、日本のAMEXはカードのブランド・イメージで成功した会社なので、最近のAMEXの戦略には少々疑問を感じています。

投稿日時 2020/01/02 16:34

fuzitasoftさんからの返信

EASさん、回答ありがとうございます。

確かにEASさんがおっしゃる通り、
気にし過ぎなのかもしれません。

EASさんのご回答を受け、
確かに店員は誰がどんなカードを
持っているかは気にしないでしょうし、
カードの印象よりも、そのお客さん自身の
イメージへの影響が強いように感じました。

投稿日時 2020/01/02 11:47


この回答は役に立ちましたか? 
5人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
回答ID:53530 今年度質問ランキング:-位 今年度回答ランキング:-位

回答内容

あると思います。
体験1(カードの印象→ホルダーの行動)
「JCB THE CLASSは価値が高いカードだ」というカードの印象に基づく、「JCB THE CLASSで○○が当たって嬉しい、持ってて良かった」「JCB THE CLASSのコンシェルジュは最近良くない、解約した」というレビュー(をするというホルダーの行動)
※私自身はJCB THE CLASSのことは全然分かりませんが、クレファンのレビューを見てレビュアーはそういった印象を持っていると判断しました。


体験2(ホルダーの行動→カードの印象)
majicaギフトとvanillaでぐるぐる→「vanillaってやっぱほぼアレなことにしか使われないよなーきっと」
※クレジットカードのことでなくて申し訳ないです。あとホルダーって言っていいんだか・・・笑


なんというかわざわざ年の瀬に(AMEXメインで使ってるユーザに)喧嘩売ってるような文章になってるのが良くないと思いますね。
majica donpenとかだったら喧嘩売っても大丈夫でしょうに・・・ゲフンゲフン(ホルダーの方、申し訳ございませんm(_ _)m)


冗談はさておき、相関関係はあると思います。ただそれが、fuzitasoftさんのようなシチュエーションで感じるかと言われると、私はあまり感じません。どちらかというと、「なんかすごそうなカード持ってても裏面にサインしない奴もいるんだなぁ」としか思わないですね。
でも、他の場面では感じてる人も多いんじゃないでしょうか。持ってないカードのレビューをここで見て、そのカードに大して何も印象を抱かない、そんなことはないでしょう。JCBやらAMEXやらのホルダー様方のレビューを見ていると、いかにそのカードが人々の様々な想いを集めているカードか、というのが伝わりますよ。


クレジットカードの印象は券面やサービス、入手難易度だけが決めているわけではない、とクレファンを見ていて思います。カードホルダーが抱く想い(ステータスだけじゃないですよ、ポイント還元への期待だって立派な"想い"だと思います)がレビュー・評判・カードを用いた行動として表出されて、そのカードの印象となるのだと思います。
ですから、私はホルダーの行動とカードの印象には相関関係があると思います。

投稿日時 2020/01/10 01:38

fuzitasoftさんからの返信

iriKさん、回答ありがとうございます。

関係あるということで承知しました。
また、ホルダー⇔カードの相互についての
体験談がとても分かりやすかったです。

>JCBやらAMEXやらのホルダー様方のレビューを見ていると…

確かに、JCBやAMEXはとりあえず作っておこうというカードではなく
明確な目的やこだわりがあって作るカードであると私は思っています。
例えば、日本人だからJCB…というのも立派なこだわりだと思います。
逆に、SMCCやSAISON、LIFEなどはとりあえず作っておこうという
人も多いと思います。
これは統計ではなく、私が感じたことなので裏付けはありません。

投稿日時 2020/01/12 07:26


この回答は役に立ちましたか? 
1人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
回答ID:53512 今年度質問ランキング:-位 今年度回答ランキング:-位

回答内容

fuzitasoftさん、こんばんは。
 
avatarofvirtuesさんのご回答が色々と面白かったので、回答してみます。学問的な(というか、科学に関する)話題で「相関」の文字が出た場合、それが統計学的な意味で使われているとみなすのは常識ではないでしょうか。統計学的な相関を問うたのであれば、今回の質問はナンセンスになります。「相関関係」なんて無駄にひねくれた言い方をするからひねくれた(?)回答が寄せられるのであって(もちろん、良い意味で「ひねくれた回答」です!)、単に「関係」と質問すれば良いだけのことです(笑)。なんとなくですが、このご質問は(様々な体験談を聞く事によって)AMEXゴールドの解約の方向に向かう気持ちを後押しして欲しい心理に端を発するのではないかなという気がしました。
 
さて、本題に入りますが、(avatarofvirtuesさんの言葉では心理的因果に相当しそうですが)私の中では特にカードホルダーの行動とカードの印象の間に関係はございません。というのも、そこまで個別のカードについて、カードホルダーの行動を目撃し記憶するわけではなく、目撃したとしてもそれを意識して特定の印象に関連付けてしまうほどの強い印象を持つこともないからです。職業的に頻繁に客のカードを受けとるような立場の方であればそういう関連付けもするのかもしれませんが、「客がどんなカードを出そうが気にしない」という意見もよく見かけますし、実際のところはどうなんでしょうね。
 
一方で、私は割と車を運転することが多いのですが、車の運転行動と車種の印象には関係があると心の中では思っています(言い方がまどろっこしいですが、要は運転行動が印象に影響を与えている、ということです)。オーナーの方にはかなり失礼な話ですが、正直なところLEXUSやメルセデス、トヨタのプリウスでは傲慢な運転をよく見かけますので、それぞれの印象は非常に悪いですね(とは言え、絶対にこれらの車には乗らないのかと言われれば、Yesと断言出来ません。自分が乗るなら話は別。この辺の考え方には個人差があるでしょう)。最近のTwitter界隈でもMaseratiの印象が悪いと感じるようになった人が増えたように思いました。そう考えると、やはり頻繁に客のカードを受けとるような立場の方であれば、ご質問のように「カードホルダーの行動とカードの印象に関係はある」と心の中で関連付けをする方も、きっとそれなりにいるのではないかなと推測いたします。それが良いか悪いか、正しいか正しくないかはまた別問題です。人間なんで、論理的に正しくない関連付けや誤謬なんて、心の中ではいくらでもしてしまいます。

投稿日時 2020/01/05 23:42

fuzitasoftさんからの返信

Terre_des_Hommeさん、回答ありがとうございます。

ご指摘の通り、「相関関係」という表現には、
少し問題があったように感じます。

対象物(今回はカードと車)によって
考え方が違うということで承知しました。
そして、人の価値観によってその部分が異なると理解しました。

投稿日時 2020/01/08 13:23


この回答は役に立ちましたか? 
0人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
回答ID:53508 今年度質問ランキング:-位 今年度回答ランキング:-位

回答内容

ありますね


アメックスプレミアムは誰でも持っている気がします。私が仕事で相手にするのは支払い不能の方ばかりですが、アメックスは多いです。一度失敗した人にも門戸を広げているせいかも知れません。私の中ではステイタス、無いです。課長になった時、どこから調べたかゴールドのインビもらいましたけどお断りしました


相手にする人で少ないのは航空系のカードです。ですから、航空系カードを持っている人にはステイタスを感じます


昔はダイナースとかに憧れましたけど、今はそれほどではありません。芦屋六麓荘にお住まいの方のブームは楽天平カード。近くにedyが使えるスーパーができたからみたいです。本当にステイタスをお持ちの方はカードに何も期待していませんね

投稿日時 2020/01/02 12:39

fuzitasoftさんからの返信

justo2さん、回答ありがとうございます。

体験談を基にした回答をありがとうございます。
関係があるということで承知いたしました。

投稿日時 2020/01/03 06:03


この回答は役に立ちましたか? 
0人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
回答ID:53507 今年度質問ランキング:-位 今年度回答ランキング:-位

回答内容

御機嫌好う、fuzitasoftさん。
失礼ながら、私事で年始の挨拶は割愛させて頂きます。

重ねて、大変失礼で申し訳無いのですが、
今回の質問は真面目に訊ねておられるのでしょうか?

それとも、以前と同じ様な質問の体裁を取った
別の意図が質問の背後にお有りでしょうか?

普段なら、一瞥して無視する問いですが、
fuzitasoftさんの質問ですので、一応、伺って措きます。

fujitasoftさんが返答した内容次第で、回答内容を変えて、
正式な回答を追記致します。
どの回答でも、善意の回答するので、正直に返答をお願いします。

尚、既に正鵠を得た回答が複数出ている様に思われます。
既に与えられた複数の回答のどれかに、
fuzitasoftさんが十分納得しており、
私(avatarofvirtues)からの回答は不要であれば、
これにて差し控えます。

とは言え、それらの回答が、fuzitasoftさんの求める
「相関関係」の「有無」に関する説明として、
必要十分なものになっているか、という点からすると、
それらの回答に不満を覚えるかもしれません。

その上で、fuzitasoftさんが真面目に訊ねており、、
私の拙い回答すら考慮に容れる姿勢であるならば、
此方も真摯に回答をしたいと思います。

というのは、昨年に一度、私が拝見させて頂いた
fuzitasoftさんのプロフに由れば、
fuzitasoftさんは未だ20代(カード履歴から診て、20代前半)だった
様に記憶しているからです。

但し、その場合は、大変僭越ながら、
教育的配慮に満ちたものになります。

投稿日時 2020/01/01 23:10

回答補足

§0. 挨拶
先ず、fujitasoftさんの[投稿日時 2020/01/02 12:06]に於ける
私(avatarofvirtues)への返信に感謝します。

判りました。

お正月ですし、真面目なfujitasoftさんの為に、
教育的配慮を致します。お年玉です。

fuzitasoftさんの今回の質問(別の可能性の有無の確認)が、
特定のカードレビュー(既に定まった判断・評価)として、
示されていたら、
fuzitasoftさんの発言の意味は全く別のものになっていました。

そして、それに関して、
回答者である私が受ける"印象"も全く別になっていたでしょう。

以上を踏まえた上で回答をします。
どの位、回答が長くなるか判りません、適宜、節を分けます。
最後の節に到達した際は、「最後に。」という句を配することにします。
又、釈迦に説法が続くかも知れませんが、御容赦をお願い致します。
何故、回答が長くなるのか。
それは、他所に補足説明を求めなくとも、
疑問を出来るだけ残さない様にするために、
自己充足した記述を与える様努力する予定だからです。

とは言え、以下に述べられるであろう、
長い記述に何の価値も見出せず、無駄にしか感じられない人にとっては、
私からの回答は全て"無意味なノイズ"に留まります。
ですから、途中で読む行為を放棄しても致し方有りません。
その場合、"avatarofvirtuesからの回答は元々無かった"
と考える方が幸福でしょう。

--Angle brackets タグテスト--
≪テスト≫
〈テスト〉
<テスト>
恐らく、半角のABは消えている
-----------------------------

投稿日時 2020/01/03 23:13

回答補足

§1. 薄い分析的記述-「対人論法」

さて、既に複数の方が述べている点ですが、
質問内容に於ける相関関係が実在すると"即断する"のは、
所謂「対人論法」の誤謬と同じ論理構造の誤りを犯しています。

ここでは、「人身攻撃」(argumentum ad hominem)
と「対人論法」(ad hominem abusive)を同じものとして扱います。

 0. ●●が言ったCは正しい。(→単称)
 1. Bは●●が言ったことだから、B"も"正しい。

0が実際に正しかったとしても、
1が即、正しいわけでは在りません。
また1を縒り正確に言えば、

 1-1. ●●が言っていることは"常に"正しい(→全称)
 1-2. ●●は"Bだ"と言っている。
 1-3. 故に、●●が言っている"Bだ"は常に正しい。

対人論法に於ける1-3が正しい言明となるためには、
1-1が正しいことが確認されていなくてはなりません。
しかし、その1-1に於ける「常に」という、
副詞は0から導けるものではありません。
また、実際に0の文が正しかったとしても、
CとBとは全く異なるものですから、
0から1を引き出すことは不可能です。

又、「正しい」を「間違っている」に置き換えても同じことです。

 「●●」を「AMEXゴールド」、
 「言っている」を「使っている」に、
 「正しい」を「印象は悪い」

に置き換えて下さい。
助詞は文意が成り立つ様に都度適したものに置き換えて下さい。

すると、
 0. 「AMEXゴールド」を「使っている」Cは「印象が悪い」(→単称)
 1. Bは「AMEXゴールド」を「使っている」から、Bも「印象が悪い」
 1-1. 「AMEXゴールド」を「使っている」のは"常に"「印象が悪い」(→全称)
 1-2. 「AMEXゴールド」をBは「使っている」。
 1-3. 故に、「AMEXゴールド」を「使っている」Bは常に「印象が悪い」。

0からは"常に"という意味を導くことは出来ません。
また0からBについての言及を引き出すことも不可能です。

但し、1-1である「全称」文(命題・言明)から、
0や1-3といった「単称」文を引き出すことは可能です。

これに関しては、"帰納"と"演繹"という、
第二次大戦後(1947年;昭和22年)の義務教育課程を終えた者なら誰もが、
一度は学んだ筈の概念でも言い表せます。
問題は、その「全称」文"1-1"が正しいことが先ず、
確認できていなくてはなりません。

「全称」に関する確証を得たい場合、それが"有限"で有ったとしても、
多くの場合、困難です
("有限"値の閾値が10以下など少数であれば、比較的簡単でしょうが…)。

その確認の代替の為に、fujitasoftさんは「相関関係の有無」を訊ねておられるのでしょう。

その「相関」に関しては後述します。

投稿日時 2020/01/03 23:21

回答補足

§2. 「対人論法の誤謬」を指摘している様で、指摘になっていない発言

尚、
≪「AMEXゴールドを使っている人は印象が悪い」と言うのは対人論法だから、間違いだ≫
といった場合、それは対人的評価を述べる記述ですが、
その記述は単に人物に関する印象を述べた"一文"に過ぎず、
何の論証も"隠されて"いません。

尚、≪"一文"に"論証"が"隠されている"≫というのは、
論証とは複数の文から成り立つものですから、
 一文に見えて、実は複数の明示されていない前提文が複数、
 一つの文に含まれていて、それらの文を省きながら、
 実際の意味上はそれらを文を含む、
 一文(言明・命題)を一組の主部と述部とで構成している様態
を言います。

ですから、
≪「AMEXゴールドを使っている人は印象が悪い」と言うのは対人論法だから、間違いだ≫
は論法には当たらない、
詰まり、「対人論法」にはなっていませんから、
「【SがOをCだと言うのはPだ】と言うのは"対人論法"だから、間違いだ」は誤りです。
この種の間違った発言も屡々、見かけますし、耳にもします。

「【SがOをCだと言うのはPだ】と言うは"対人論法"だから、間違いだ」という発言が、
有意味な発言となる為には、
それに続けて、論証が必要になります。
【SがOをCだと言うのはPだ】という発言や記述のどこに論理的な誤りがあるのか、
そして、その誤りが特定の人物Sに帰されている事を明示して、
初めて、【SがOをCだと言うのはPだ】という文が、
"対人論法"となっていること、
が示されたことになります。

そして、そのような論理的誤りを指摘する為には、
隠れた前提の炙り出しや、
一つ一つの表現の意味を厳密に特定していく手続きが必要になります。

投稿日時 2020/01/03 23:31

回答補足

§3. 「対人論法」の様で在りながら、「対人論法」では無い言明

「対人論法」は一般的には誤謬として理解されていますが、
「対人論法」に見える全ての言明が一様に誤っているわけでは有りません。
先の"対人論法の誤謬"は、全称的な判断を特定の人物に帰する論法になっていました。

ところが、【SがOをCだと言うのはPだ】のPが可能性・傾向性を示すものに為っている場合、
それは、少なくとも二つの対立する意味のどちらかが正しい事を仮定する前提から、導く事が可能な帰結に相当する言明になっています。

例として、【SがOをCだと言うのは"在り得ること"だ】という言明を挙げることが出来ます。
「有り得る」という箇所「得る」は可能性・傾向性を示すものであって、
「で在ることが有り得る」という意味と、同時に、
「で無いことも有り得る」という意味とを含んでいます。

そして、この言明を支持する、傾向性を見出せる様な統計データや、
既に確認された複数の事例を示すことで、
可能性に関する帰納的論証は一定の合理性を持つことになります。

そうした可能性に関する判断が特定の人物Sに帰されている点で、
その言明や論法は「対人的」(ad hominem)ですが、
この「可能性を人に帰す」論法自体は、
伝統的には「対人論法」(ad hominem abusive)とは看做されていません。

対人論法という和訳では、元の羅語に有る
「abusive」の意味が明示されていないため、一見分り難いです。

Lewis and Shortの羅語辞典(1879)では、「abusive」を、
「By an improper use」(不適切な用法で)、詰まり、「誤って」、
「Slightly, not in good earnest」(良い態度では無く)、詰まり「悪い態度で」
という意味だと述べられてます。

cf. Charlton T. Lewis and Charles Short [1879], A Latin Dictionary, Oxford: Clarendon Press のWEB版:http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.04.0059:entry=abusive)

詰まり、【SがOをCだと言うのは"在り得ること"だ】という言明は、
誤った言明でも、悪態に基づく言明でもないということです。

投稿日時 2020/01/03 23:39

回答補足

§4. 相関

但し、上記の説明(対人論法という薄い分析的記述)だけでは、
「"相関"関係の有無」についての回答としては、
不十分です。

先ず、字義的な定義から。
"相関"という語の中に"関係"という意味が既に含意されているので、
"相関関係"という表現を好まない人もいますが、間違いではありません。

他方、因果関係という表現は、本来無関係な二つ以上の事象が、
原因と結果で結び付けられている事が示される場合を想定し、
「因果」そのものに「特定の関係性」は含意されないという条件を前提としている表現と言えます。
尤も、それに異論を唱え、"全てのものは必ず関係が有る"と言う場合は、
近因と遠因の違いや、個々の関係性の違いなどを軽視した考えと言えるでしょう。

0. 「相関」の意味は、
  日常語としての「互いに関係している」と言うだけの意味であっても、
  論理学、数学、統計学、生化学、サイバネティックスでのそれと、
  基本の意味において共通であり、因果関係の前提を構成します。
  但し、それは前提だけですので、因果関係の必要十分条件を充たしません。
  相関しているという事だけでは、
  それら二つの異なるものの関連付けが、
  その内の一つが残る一つの原因に無条件に成る、
  ということを常に含意するわけでは有りません。

因果とは原因と結果との組み合わせを指し、
結果は原因から引き起こされるもの、という関係を結んでいます。
因果関係とは二つの事象間に原因と因果の関係が見出される状態を言います。

自然界(最終的には物理学で理解可能な世界)に於ける事象(event)と、
その写しとしての心理に於ける表象(representation)とは、
基本的に別物です。

自然界に於ける事象間の因果と、
心理に於ける表象間の因果とは別物です。

ここでは"心理に於ける事象"と言った場合は、
"表象"を指すものとします。
また、表象間の因果を心理的因果と呼びます。

表象間の因果、即ち心理的因果の内、
その心理的因果に関する論理分析の結果、
前提と帰結が、実際の自然界の因果と"対応している様に思える"ものを、
此処では"論理的因果"と呼ぶ事にします。

即ち、「言語表現での前提=自然界での原因」、
「言語表現での帰結=自然界での結果」という対応
が診られる場合を指すこととします。


この"論理的因果"などという表現は通常、
どの学問でも用いられていないので、注意して下さい
(どこかで使っている人がいる、という情報をお持ちの方は、
 是非、私に教えて下さい。)。

1. 店員やfujitasoftさんが、有る行動に関して、どういう印象を持ったか、
  ということに関しては、心理的な因果関係になっているので、
  相関は有ります。
  相関が有る場合、正・負、逆、等、何らかの相関が存在します。

2. 但し、その原因から受けた印象、別の言い方をすると、
  その原因に関する理解、が正しいかどうか、
  と先の心理的因果関係とには相関は有りません。
   端的に言えば、別の論点であって、詰まり、無関係です。

それら"心理的因果"と"論理的因果"とを"混同"するのは、
典型的(どの分野においても共通)な誤謬です。
但し、それらの間に、常に何の関係性も無い、
ということを予め断言することこそ、
論理的には不可能な事ですから、
両者の"相関"を調べる事は無意味な事では有りません。

何故なら、人の心理では論理的因果に合わないことでも、
心理的因果の一部として、関連付けする事が屡々有るからです。
そうした関連付けは日常語では、誤謬、思い込み、偏見、妄想、
と呼ばれたりしています。
特に目を通して欲しいのは、犯罪心理学と被害者学との専門書です。
非常に多くの該当例が見つかります。

投稿日時 2020/01/03 23:49

回答補足

§5. 厚い分析的記述1-「心理的因果と論理的因果」

例えば、こういう事です。

心理的因果関係:行動A(「カード裏面の署名が無いこと」で「喧嘩を」する)→印象A(他のお客さんにも迷惑)
印象Aの正しさ:「他のお客さんにも迷惑」の根拠=行動A

ですが、fujitasoftさんが問題にしている「相関」関係は以下です。

心理的因果関係:カードホルダーの行動(「カード裏面の署名が無いこと」で「喧嘩を」する)
        →「カードの印象(カードのステータス)」

但し、実際には、その因果関係には省略があり、それを補ったのが下記です。

心理的因果関係:カードホルダーの行動(「カード裏面の署名が無いこと」で「喧嘩を」する)
        →行動に関する印象(他のお客さんにも迷惑)、結果として
        →行動の主に関する印象(まで生み)
        →「カードの印象(カードのステータス)」と関係がある、かの様に考えている

そして、これら複数の印象に関して、どこまで正しいかは、
印象を生む直前の原因の内容が"論理的な"因果関係として妥当かどうか
を診なくてはなりません。

二つの事象間に因果的な関係が在る様に、感じたとしても、
それは、心理的な因果関係に留まる場合が有り、
論理的な因果関係に在るとは断言できない、
という事に気付いて欲しい、ということです。

上の例で言えば、「カードの印象(カードのステータス)」は、
それ以前の全ての印象、そして、その印象を生んだ原因である、
カードホルダーの行動から直接導出可能なもの、とは言い得ません。

何故か。

投稿日時 2020/01/03 23:55

回答補足

§6. 厚い分析的記述2-「量・擬似相関・統計」

確かに、行動の主に関する印象はそれ以前の印象と行動とが、
最終的に、その行動主に帰着せざるを得ない関係になっています(述語論理)。

…が、行動の主、詰まりカードホルダーは、
その行動の主だけでは無く、複数存在する為、
その行動の主である、特定のカードホルダーただ一人だけで、
「カードの印象、或いは、ステータス」それ自体の「全体」
(=同一モデルのカードを貸与されている複数のカードホルダー)を
構成することは、「量」の観点から不可能です。

論理学的には、単称或いは特殊な命題を、
全称のそれとして判断している誤りを犯しています。

ですから、二つの関連付け、
 A.≪特定カードホルダーの特定の行動→特定の行動に関する印象&特定の行動の主に関する印象≫
 B.≪特定のカードホルダーの行動→カード"一般"の印象(カードのステータス)≫
とは似て非なるものです。

 Bを"論理的に正しいと信じる"(実際には論理的に妥当ではない)には、カード・ホルダーと「カードそれ自体」或いは「カード・ステータスそれ自体」を同一視している事が前提となります。

 Bを論理的に妥当なものとするには、
 ≪特定のカードホルダーの行動→そのホルダーが持つ、"唯一つのその"カードの印象(カードのステータス)≫
 と関連付けを改める必要が有ります。
 
 論理的な因果関係を言い得るのは、演繹的に正しい推論になっていることが要求されますが、心理的な因果や"相関"ではその様な推論の妥当性は問題になりません。

但し、論理的にはBが成り立たないとしても、
AB両者の関連付けには心理的相関も因果も有り得ます。
例え、それが論理的に間違っていたとしてもです。

因みに、「印象」という表現に着目すると、
「印象」をそのまま「ステータス」に置き換えるのは避けるべきですから、
「カードのステータス」に関する「印象」と表現すべきで、
この場合、「カード」という表現を
「カードのステータス」という表現と可換関係にする方が、
縒り適切な表現になるでしょう。

こう表現を修正すると、以下の様に、
先の関連付けを洗練することが出来ます。

AとBという二つの関連付けの、最初の事象が共通ですから、
 表象A(カードホルダーの行動)が、
 表象B(行動に関する印象&行動の主に関する印象)と
 表象C(カード或いはカード・ステータスに関する印象)と
生む、という思考をする方もいるかもしれません。
これは演繹的な推論です。

諄いですが、「印象」の発生が問題になる場合、
心理内では、間違った信念での関連付けで、
相関が形作られていることは少なく有りません。
そこでは、論理的に考えあり得ないことや、
自然界に実在しないことでも、問題になりません。

既に述べた様に、演繹的な理解を無視した心理的相関では、
論理的な因果での≪原因A→結果B≫に関する、
逆向きの因果≪結果B→原因A≫の間違いすらも
"意識"されていない場合が十分有り得ます。


"相関"という概念を出す場合、
≪事象A→事象B≫と≪事象B→事象A≫の両方の因果を前提している訳で、
本当の事象Aと事象Bのどちらかが真の原因であることが要求されていません。

ですから、「§1」から「§5」の回答では、「相関の有無」に関する説明では不十分です。

厳密に"相関"を見出すには、
 事象Aは事象Bと相関している
 事象Aは事象Cと相関している
 事象Bは事象Aと相関している
 事象Bは事象Cと相関している
 事象Cは事象Aと相関している
 事象Cは事象Bと相関している
という仮定(検証の前提となるもの)は同時に立てて差し支え無く、
その正しさについて、統計採りの結果に委ねられます。
判断できます。

「印象」それ自体が「心理的なもの」に留まるため、
統計的な論拠が無い、個人の心理それ自体でのみ関連づけられた
"相関"は常に存在します。

その意味では、justo2さんの
≪「カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係は)ありますね」≫(投稿日時 2020/01/02 12:39)
というのは部分的に正しいです。

併し、その様な心理的相関は誰にとっても普遍妥当に当て嵌まるものでは無いでしょう。
飽くまでも、「印象」には個人差が有る訳で、そこに"例外の無い一致"を求めるのは不合理です。
ですが、そうした「印象」に関して、どの程度、人々の間で一致するか、
どの程度共通のものかを調べるのは、
最初から、大凡多くの人が了承する様な理解を求める事を放棄する事より、
有益で在る様に思われます。
その為に、我々は統計を使います。

統計的論拠の無い、単なる心理的相関を全て正しい、
と仮定した上で、統計を採り、
心理的相関の内、"実際の印象と大凡一致する様な"
統計的に信頼に足る心理的相関を指摘できる様になります。

以上の様に、複数の相関を仮定して、原因を探る上で役立つのが、
"擬似相関"という概念です。

 1. 事象Bが事象Cを発生させる
 2. 事象Cが事象Bを発生させる
 3. 事象Aが事象Bと事象Cを発生させる

1と2とが相関している、と仮定した上で、
3における事象Aが発見されたり、その役割が特定出来ることで、
1と2が共に間違い(相関していない)であることを探り中てています。

"擬似"相関とは"相関であるかの様に見えるが、無関係なもの"
を意味します。
擬似相関は相関ではないのです。

この様な統計データの分析結果を、
「§1」から「§5」に於ける論理立てと組み合わせることで、
「大凡確からしい相関」の有無について、
何らかの主張ができることになります。

そこで、統計的論拠の無い心理的相関を、"単なる心理的相関"と呼び、
統計的論拠の有る心理的相関を"統計的相関"と呼び、
後者を暫定的に「真の相関」と呼ぶことにします。

ですから、実際には、「カード・ステータスに関する印象」と、
「カードホルダー」或いは「カードホルダーの行動」との間には、
「真の相関」は"現在"有る様には思われません。

"現在"というのは、適切な統計データが提示されれば、
相関に関する判断は変ることを意味しています。

投稿日時 2020/01/04 02:23

回答補足

§7. 「量・擬似相関・統計」に関する論理的誤謬に基づく弊害

若し、斯うした誤謬に気付かぬまま、この種の質問をした場合、
その人物は、
 行動に関する印象から「カード・ホルダー」(「・」を表記に追加)
 自体の性質を決めつけ、
 「カード・ステータス」(カード、カード会社、カードブランド)と、
 先の「カードホルダー」の性質(人に依っては「人格」や「人品」とも言う)と、
 を不可分の関係に規定する、
人物である、かの様な印象を他者に与えかねません

 (仮に、斯うした印象を誰かが持ったとしたら、
  その誰かはどんな誤謬を犯しているか判りますか?
  答えは必ず私からの回答中に有ります)。

仮に、「カード・ステータス」と「カード・ホルダー」とが「相関」にある、
とした場合で、以下の様な推論を考えます。

 1. 「カード・ホルダー」は「カード」を貸与されている。
 2. そのカードは「カード・ステータス」で区分けされている。、
 3. 「カード・ステータス」は「カード・ホルダー」の状態を示している。
   故に「カード・ステータス」から、「カード・ホルダー」の状態を知ることが出来る。

1,2,3はどれも単独では正しい判断と言えますが、
それらを組み合わせた上、一部の表現を変えるだけで、
不当な判断になります
(「カード・ホルダー」の前に「全ての」補うと縒り明瞭になる)。

帰結部3での「状態」が単に「カードを貸与されている」を意味するだけなら、
1、2、3を連続した推論として扱っても問題無いですが、
「状態」の内容を1、2で言及していない、別の表現を加えた場合は
演繹的推論ではなくなるので、間違いです。

カード或いはカード・ステータスと人を関連付けない限り、
カード・ホルダーは生じません。
そして、カード・ホルダーを生むのは、審査への申込みという、
行動ですから、

更に、「0」として、"審査"を加えてみましょう。

 0. 人がカードを貸与してもらうには、審査に通ることが必要だ。
   故に、カードを貸与されている人は、審査に通っている。
   審査に通っていない人は、カードを貸与されていない人である。
   
 0-1. カードを貸与されている人は「カード・ホルダー」と呼ばれている。
 0-2. 「カード・ホルダー」は審査に通っている。

この0から3に至る推論に誤りはありません。
但し、3の帰結に於ける「状態」が指示する意味を、
「カード・ホルダーの行動」としてみましょう。

0-1は、一部の「人」を「カード・ホルダー」として定義し直す為の一文です。
0-2は、0から導ける「カード・ホルダー」の性質を示しています。

この様に、「カード・ホルダーの行動」で「状態」の実際の意味を規定した場合、
"不都合な事"に、「カード・ホルダーの行動」は「0」の審査段階で、
既に判断されている事になります。

投稿日時 2020/01/04 02:29

回答補足

§8. 統計の功と罪

そうした"不都合"の存在にも関わらず、尚、両者の間に相関を求める場合、
統計結果を求めることで、
「相関が在ること」の"部分的な"論拠を示すことは出来ます。

それは、特定のカード、及びカードのステータス毎の、
利用者の行動に関する印象調査をする(統計を採る)ことです。
但し、統計の対象となった各印象の持ち主の全体の性質も問題になります。
それらは標本などとも言われますが、
統計に於ける有効なサンプル数の確保や、
様々な偏りの是正など、事前に留意することが多くなります。

統計は事実に関する誤認を軽減する上で極めて有効な方法ですが、
その一方で、論理的誤謬を引き起こさせ、
事実を誤認させる方法としても多用されています。
それは印象操作の手法の一部になっています。

とは言え、落ち着いて考えれば、
「特定のカード、及びカードのステータス毎の、
利用者の行動に関する印象調査をする」
という統計採りは殆ど無意味な仕事だと判る筈です。

何故か。理由は既に明示して有りますが、
別の角度から、例証してみましょう。

投稿日時 2020/01/04 02:34

回答補足

§9. 「統計の功と罪」の例

先ず、具体例から。

既に削除されている雑誌「GOETHE」ウェブ版
(https://goetheweb.jp/lifestyle/diners201811)
は、有効な統計データすら無く、
多くの人が露骨な印象操作だと判る稚拙な記事を、
一昨年の「2018年11月20日」に公開していました
(https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1901/05/news006.html)。

この記事に統計データまで付されていたら、
それを信じる方が出てしまった可能性は縒り有り得る訳で、
その場合の「GOETHE」に向けられた苦言は、
削除記事へのそれ縒り少なくなっていたのではないか、
と考えられます。

そういう点で言えば、カード発行会社にとっては、
自社の「特定のカード、及びカードのステータス毎の、
利用者の行動に関する印象調査をする」(§8)
意味は有り、縒り魅力の有る商品開発に役立てる上では有益だと言えます。

その意味で、この具体例から引き出せる観点は、
先に私が述べた
≪「特定のカード、及びカードのステータス毎の、利用者の行動に関する印象調査をする」という統計採りは殆ど無意味な仕事だ≫
という判断は、短慮な意見と言えます。

この様に、意味を特定出来る様に、それぞれの判断を言語化することで、
それを覆す事例が示された時、適宜その判断の正しさを検証出来る様になり、
様々な理解に関する進歩(progress)を計ることが出来ます。

≪「特定のカード、及びカードのステータス毎の、利用者の行動に関する印象調査をする」という統計採りは殆ど無意味な仕事だ≫
という判断は、その意味で検証可能な文であり、
反証可能性に開かれた文になっています。

統計データを示して主張をすることは、その様な反証可能性を保ちながら、
普遍妥当な主張を展開するのに有効な方法です。


次に、数理的観点から。

特定のカードに関するホルダーの母数が増えれば、
悪い印象を他者に与えるホルダーも、
良い印象を他者に与えるホルダーも、
それだけ多く抱える傾向性が高まります。

この時点で「そんな事は無い」と異論を唱える場合、
その異論を唱える人は、
≪「カード・ホルダーの行動」は「0」の審査段階で、既に判断されている事になります」≫(§7)
という主張を、事実として確認できる論拠を、
別に用意しなくてはなりません。
ですから、その異論が無い、ということで話を進めます。

例えば、
Rカード・ホルダーの内、「一万人の悪い印象を与えるホルダー」がおり、
それらが、その母数「一億人のホルダー」の一部であるのと、

Aカード・ホルダーの内、「一万人の悪い印象を与えるホルダー」がおり、
それらが、その母数「一万人のホルダー」の"一部"且つ"全て"であるのとは、

同じ「一万人の悪い印象を与えるホルダー」という点は共通であっても、
両者の統計的価値、影響の度合いは全く異なるでしょう。

字面の数字は同じ、或いは近似値でも、実際の意味が異なる様な、
統計手法は、統計のトリックとして、屡々多用されています。

仮に、そうした統計に基づいて、両者の相関を正当化すると、
殊に依っては、カード自体の評価とカード・ホルダーの評価とを同一視したり、
その逆で、カード・ホルダーの評価とカード自体の評価とを同一視する、
ということを主張することすら、正当化し得ることになります。

ですから、「真面目に訊ねておられるの」かどうかを、
私はfuzitasoftさんに、最初、伺った訳です。

投稿日時 2020/01/04 03:03

回答補足

§10. 心理的因果に於ける相関する事象と前後即因果の誤謬

また、fuzitasoftさんには自明の事でも、敢えて言及しておきます。

fuzitasoftさん以外の誰かがAmexを使って、他者に不快な印象を与える行動をしても、
それは、fuzitasoftさんの行動とは違います。

確かに、先の誰かの行動の為に、他者がAmexに不快な印象を覚え、その印象を持った他者が、
fuzitasoftさんが使ったAmexにも不快な印象を抱く事は有り得ます。
又、その様な印象を持った他者が、fuzitasoftさん自身に不快な印象を抱く事は有り得ます。

併し、それらの事態は、その他者の持つ過去の経験に対する記憶が、
その経験と類似した事象に対して再生された為に生じるのであって、
fuzitasoftさんの行為が、その印象・記憶を持つ人物にとっての心理的な誘発要因には成り得ても、
その人物の印象が正しいものであることを論理的に示しているわけでは有りません。
心理的誘発要因に関する説明は、心理学の領域になります。


更に、今挙げた様な経験に由来する心理的因果は比較的合理性を持つものですが、
全く合理性を欠いた心理的要因から心理的因果を構成する様な、
精神上の問題については、非常に多いので専門書に委ねます。

一例を挙げると、所謂、トラウマ(心的外傷、外傷体験、PTSD)も同じ構造です。

また、その人物の印象に関する判断の論理的な側面に着目して言えば、
単に事象の前後関係から因果関係を構成する様な判断をしている、
と言い得る訳で、
その場合、「前後即因果の誤謬」という古典的な誤謬の一つを犯していることになります。

投稿日時 2020/01/04 03:07

回答補足

§11. 箴言めいた事


尚、統計的誤謬に関して言及していない統計学の本は、
初学者にとっての良書とは現在評し得ないので、
単なる方法論や概念の解説に終始する本は棚に戻し、
落し穴(洋書ではPitfalls)や注意点の解説に
紙幅を割いている本を改めて求めて下さい。

ここで、私が回答(提示)した説明は、私自身のオリジナルですが、
その説明で用いている、誤謬を発見する為の論理的な手続きに関しては、
既に述べた「§4」に示されている学問群の共通の知的資産です。
是非、日常の生活に役立てて下さい。

fuzitasoftさんのこの些細な質問一つに関しても、
未だ未だ多くの分析法が適用できますが、ここまでにしておきます
(「キリ」は有ります…が、分析に用いる手法は未だ有ります)。

以下は、これまでの分析法を軽く用いながら、
幾分ざっくりとした所感を述べることにします。

投稿日時 2020/01/04 03:25

回答補足

§12. [投稿日時 2020/01/02 12:06]に於けるfuzitasoftさんからの返信内容に関する分析I

[投稿日時 2020/01/02 12:06]の返信内のfuzitasoftさんの感慨を採り上げます。

≪「自分と同じカード会社のカードを持っている人に対して親近感が沸」く≫
というのは、自分と近い価値観や考えの持ち主ではないか、と推測しているのでしょう。

≪「違うカードだとどんなカードなんだろうと興味を持」つ≫というのは、
自分と違う価値観や考えの持ち主ではないか、と推測し、
その人はどんな考え方をしている人なのか、と疑問を持っている、
状態でしょう。

この様な見方は「カード」を「価値観」・「考え」に置き換えただけのものです。
この様な考えを持っているとすれば、成程と思えます。

他にも、全く別の感情や興味を引き起こす心理的要因が有るかもしれません。
但し、文字に表されていることから、演繹的に導ける推測には制約が有ります。

投稿日時 2020/01/04 03:27

回答補足

§13. [投稿日時 2020/01/02 12:06]に於けるfuzitasoftさんからの返信内容に関する分析II

次に、
「一部が悪く目立つと全体のイメージが悪くなるのも事実」
という点ですが、
クレファンという極限られた空間ですら、既に、
 EASさん([投稿日時 2019/12/31 23:01])、
 Cembaloさん([投稿日時 2020/01/01 02:21],[投稿日時 2020/01/02 14:20])、
らは同意していない様に思われます。

勿論、fuzitasoftさんにとっては、
「一部が悪く目立つと全体のイメージが悪くなるの」は「事実」
でしょう。

言い換えれば、全ての人間がfuzitasoftさんと
同じ様に"感じる"或いは"考えている"訳では無いです。

これを踏まえた上で、
fuzitasoftさんの元の表現を適切な形に"修正"してみます。

すると…、

≪一部がが悪く目立つと全体のイメージが悪くなる」と考える人がい「のも「事実」≫
或いは、
≪一部がが悪く目立つと全体のイメージが悪くなる」と感じる人がい「のも「事実」≫

とする方が妥当でしょう。

ここで、私が「考える」と「感じる」とを「或いは」で言い分けたのは、
既に述べた、「心理的因果」と「論理的因果」との区別を適用してもらう為です。

論理的な正しさとは無関係に「感じる」ことから生じる「心理的因果」は、
防ぎ様が無いものです。
何をどう"感じる"のか、心の中で何をどの様に関連付けているのか、
事象に関する心理的な関連付けは、自然に生まれ持った、
或いは、生育環境で身についた気質に左右されます
(遺伝的・先天的・生得的、及び、後天的の両方)。

「論理的因果」は、論理的に分析して初めて明らかになる因果です。
人間は思考している時、程度の差はあれ、
"自然に"(="否応無く必然的に")論理的に情報を処理しています。

但し、論理を用いる能力である理性は鍛えることができませんし、
理性が論理に依って情報を分析できる範囲には限界がありますから、
確証を求める様に適切な判断を求めるなら、
分析を司る理性の能力を意識的に補う必要が有ります。

そうした理性を意識的に補助する手段が、
論理学などの学問に於ける知的技術です。

投稿日時 2020/01/04 03:31

回答補足

§14. [投稿日時 2020/01/02 12:06]に於けるfuzitasoftさんからの返信内容に関する分析III

更に、「ブランド力があるカードほどその傾向が強い」の意味を、
fuzitasoftさんの元の表現に基づいて、意味を特定すると、
「その傾向」とは、
「一部が悪く目立つと全体のイメージが悪くなる」「傾向」
を指しています。


また、意味の範囲を制限するため、
「イメージ」(image)を「印象」(impression)に置き換えます。
本来、両者は意味の集合関係から区別されますが、
[投稿日時 2019/12/31 20:55]時点で、
「他のお客さんにも迷惑が掛かり、とっても印象が悪かったです」
と述べている点を考慮すれば、
不適切ではないでしょう。

詰まり、
「ブランド力があるカードほど、一部が悪く目立つと全体の印象が悪くなる傾向が強い」
ということを意味しています。

この文は比例関係を示す文になっていますから、
「ブランド力がある」を「ブランド力が強い」に変え、反対の意味である、
「ブランド力が無い」を「ブランド力が弱い」とし、述部もそれに合わせましょう。

すると、
 A. 「ブランド力が強いカードほど、一部が悪く目立つと全体の印象が悪くなる傾向が強い」、
 B. 「ブランド力が弱いカードほど、一部が悪く目立つと全体の印象が悪くなる傾向が弱い」
となります。

AとBという二つの文に同意するかどうか、以前に、
二つの文が前提として含んでいる
「一部が悪く目立つと全体の印象が悪くなる」という箇所に、
適切な論拠を提示する必要が有ります。

仮に、それが「一部が良く目立つと全体の印象が良くなる」
という箇所であったとしても同様です。
但し、心理学関係の公開PDF群には、
両者に関する統計データが毎年の様に追加されています。

それらをお金を掛けないで読むなら、下記URLから探すと良いでしょう。
★【Google Scholar】"impression behavior"
  https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&as_vis=1&q=impression+behavior&btnG=

これらは科学的事実に準ずるものですが、
それらは或る主張の蓋然性を高める論拠にはなっても、
その主張が常に正しいことを示す訳ではありません。

寧ろ、気になるのは、
fuzitasoftさんの言う「ブランド力」とは何か、です。
これも複数の考え方が在ると思います。

また、「全体のイメージ」という表現を「全体の印象」という表現に置き換え、
意味を制限しましたが、
「ブランド・イメージ」或いは「ブランドに関する印象」と、
「ブランド力」とをどの様に、意味付けし、区分するのか、
詰まり、定義をどうするのか、も面白い論点でしょう。

字義的観点から三つの集合関係を示すと、下記になるでしょう。
 「ブランド・イメージ」⊃「ブランドに関する印象」

「ブランド力」は本当に疑問が残りますが、
仮に「ブランド力」を「決済力」(各国際ブランドの加盟店数)と定義すれば、
下記の様になるでしょう。
 「ブランド・イメージ」⊃「ブランドに関する印象」⊃「ブランド力」

投稿日時 2020/01/04 03:35

回答補足

§15. avatarofvirtuesの回答に対する「分析」I

これまで、上述の様な分析をfuzitasoftさんの質問内容に向けた訳ですが、
それを「一方的過ぎて、公平では無い」と思う様な方もおられる、
かもしれませんので、
私(avatarofvirtues)自身の回答に関しても、
「分析」のメスを入れておきましょう。

取り分け、誤解を招きかねない部分を、
徹底して、切り刻む事にします。

A. 「普段なら、一瞥して無視する問いですが、
fuzitasoftさんの質問ですので、一応、伺って措きます」
という箇所と、
「以前と同じ様な質問の体裁を取った
別の意図が質問の背後にお有りでしょうか?」
という箇所。

これらを組み合わせると、「対人論法」(§1・§2)ではないか、
と思われるかも知れません。

「一応、伺って措きます」と「お有りでしょうか?」とは、
とは「措定された存在」・「その措定された存在の可能性に関する疑問」となっているため、
≪「有」るかもしれない≫(§3)に置き換えます。

すると、対人論法を指摘し易い文を構成出来ます。即ち、

≪「fuzitasoftさんの質問」には「別の意図が」「有」るかもしれない≫。

併し、この≪「有」るかもしれない≫という表現に由って、
≪常に有る≫という意味とは異なり、区別される為、
対人論法を成していないということが判ります。

その様な≪措定された存在の可能性に関する疑問≫が示されている理由も、
示されなければ、その疑問は合理性を持ちません。

ですから、それを示しておきましょう。

投稿日時 2020/01/04 03:39

回答補足

§16. avatarofvirtuesの回答に対する「分析」II

fuzitasoftさんの過去の質問である以下を確認して下さい。

cf. [投稿日時 2019/07/08 20:10] ダイナースクラブカードはプロパーカードか?
 https://qa.crefan.jp/qa8802?page=1


この問の主題は「ダイナースクラブカード」に関する問いの様相を呈しながら、
実際の問いの内容は、「プロパーカードとは何でしょうか?」という冒頭の部分、
詰まり「プロパーカード」に関する理解を問い質すことを、
その核心に於いており、
「ダイナースクラブカードはプロパーカードか?」という問いは、
問い質された「プロパーカード」に関する理解を前提として、
初めて答えられる問いでした。

見方を変えれば、「ダイナースクラブカードはプロパーカードか?」かどうか、
をそのまま、確認することに力点があったのではなく、
 「ダイナースクラブカードの発行形態としては、
 三井住友VISAカード(プリンシパルメンバー)と同様のFCとなるため、
 どちらか一方のみがプロパーであるという解釈はおかしい」
ということを示そう、というのが本当の意図でした。

詰まり、この問いは、真の意図を前方に出さず、
後方に配していたわけで、先に述べた
≪措定された存在の可能性≫に相当するものがあった事例と言えます。

このfuzitasoftさんの問いの意図は、"特定のカードに関して"ではなく、
"カードに関する個人の考え方自体に関して"在ったと言えます。

これに相当した問いとして、fuzitasoftさんの下記の問いを列挙出来ます。
孰れも、カードを利用する個人の"考え方自体"や
"価値観自体"を問題にしておられます。

 1. [投稿日時 2019/06/16 19:42] クレジットカードの断捨離、整理
    https://qa.crefan.jp/qa8791?page=1
 2. [投稿日時 2019/07/22 12:06] 三井住友VISAカードはフランチャイズか?
    https://qa.crefan.jp/qa8814?page=1
 3. [投稿日時 2019/08/25 18:24]【雑談】他人と比較してしまう瞬間
   https://qa.crefan.jp/qa8843?page=1
 4. [投稿日時 2019/10/03 06:46]【雑談】カード裏面のデザインに対するこだわり
    https://qa.crefan.jp/qa8865?page=1
 5. [投稿日時 2019/10/03 06:46]【雑談】発行会社へのこだわり
   https://qa.crefan.jp/qa8884?page=1
 6. [投稿日時 2019/10/16 13:19] カードの枚数と空港ラウンジ
   https://qa.crefan.jp/qa8893?page=1
 7. [投稿日時 2019/10/22 19:15] 【雑談】家庭内での教養について
   https://qa.crefan.jp/qa8897?page=1
 8. [投稿日時 2019/11/06 17:31] 友人に持っていて欲しいカード
   https://qa.crefan.jp/qa8898?page=1

これらの先行する質問群から見出せるのは、
特定のカードを問いの中心に措いているのではなく、
個人の"考え方自体"や"価値観自体"を問いの中心に措いている
問いの傾向性です。

この事から、今回の質問で、"相関の有無を診るか診ないか"という
"考え方や価値観それ自体"を訊ねる背後に、
"特定のカード"に関する意図が在るのかを、私は"勘繰り"ました。

それが「§15」で分析のメスを入れた「投稿日時 2020/01/01 23:10」の
私自身の最初の回答に於ける前提を構成しています。
この様に、fuzitasoftさんの複数の問いに診られる傾向性が、
私の最初の回答に於ける前提を構成していることから、
両者の間には論理的「相関」が有ると言えます。


B. 「今回の質問は真面目に訊ねておられるのでしょうか?」

これ自体大変礼を失した疑問ですが、
fuzitasoftさん自身が明らかに不合理な事だと自覚していることを、
敢えて、他者に尋ね、それぞれの反応を診たいのかと、
私は「勘繰り」ました。

併し、fuzitasoftさんからの、
「投稿日時 2020/01/02 12:06」の私への返信で、
fuzitasoftさんが「真面目に」
"不合理な事"(§13)を"確からしいと信じている"(§14)
ことが判りました。

従って、そのfuzitasoftさんからの返信に適切に応答する為、、
私は上述の教育的配慮を示しました。

投稿日時 2020/01/04 03:47

回答補足

§17. 心理的因果に対して意識的に抗する手段としての論理

「AMEXゴールドを継続するかしないか迷っていたところでしたが、
解約の方向に向かう気持ちが少し強くなりました」

とのfuzitasoftさんの言ですが、
fuzitasoftさん自身が「AMEXゴールド」に
良い印象を持てなくなってしまったならば、
解約も致し方無いです。

とは言え、fuzitasoftさんのその「カードの印象」は、
心理的に、どの様な因果関係、或いは、
それより弱い相関が生じていたとしても、
少なくとも論理的には正当化し得ない「印象」です。

論理的に説得性の有る解約理由を
fuzitasoftさんが見出してから解約しても差し支え無い筈です。
その理由は単に「そのカードの年会費までは払えない」でも構わない訳です。

或いは、単に「そのカードが嫌いになったから解約する」というのでも、
そこには解約の決定に関する主観的合理性は有るのであって、
客観的合理性の有無に拘らないのは、
自分の感情や本音に正直な決定ですから、
その本人としては不幸では無い筈で、
寧ろ、幸福ですら有り得るかもしれません。

併し、折角、育てたAmexの「Member Since」です。
下位カードへの切り替えも視野に入れ、慎重な判断を。
「Member Since」に価値を認められないなら、
次回の年会費発生前に解約なされると良いでしょう。

最後に。
何かを混同するということは、人間であれば犯し得ます。
臆せず問う、ということは恥ずかしい事ではありません。
故・児玉清風に言えば、「誠に勇敢なアタックで御座いました」。

今回の私からの回答は、私自身がこれまで寄せた事の無い、
最も長い回答であった様に思いますが、
これでも相当禁欲的に回答した積もりです。
論証という点で言えば、これでも必要最小限だと思います。

私も常に時間に余裕が有る訳では無いので、
全ての質問に毎回回答を寄せるのは不可能ですが、
これからも余暇内の範囲で回答は寄せる心積もりです。

手短に素早く済ませる積もりでしたが、思いの外、
「§4」で時間を取られてしまいました(休憩を挟んでます)。
兎も有れ、(読んで頂けた方は)読了お疲れ様でした。

投稿日時 2020/01/04 03:55

回答補足

【正誤1】:ざっと見返すと、以下の入力誤りが有りました。御容赦を。

【§3】
誤1:「で無いことも有り得る」という意味とを含んでいます。
正1:「で無いことが有り得る」という意味とを含んでいます。

【§4】
誤1:(どこかで使っている人がいる、という情報をお持ちの方は、
 是非、私に教えて下さい。)。
正1:(どこかで使っている人がいる、という情報をお持ちの方は、
 是非、私に教えて下さい)。

【§17】
誤1:「§4」で時間を取られてしまいました(休憩を挟んでます)。
正1:「§6」で時間を取られてしまいました(休憩を挟んでます)。

投稿日時 2020/01/04 04:15

回答補足

【正誤2】

【§6】
誤1:その正しさについて、統計採りの結果に委ねられます。
   判断できます。
正1:その正しさの判断については、統計採りの結果に委ねられます。

投稿日時 2020/01/04 04:35

回答補足

【追記1】
≪「カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係はある」かどうか≫
に直結する様な肝心の体験談を一切示す事が出来ず、申し訳御座いません。

然しながら、私が関心を向けている人物の事を知る為に、
その人物が使ってる持ち物(クレジットカードを含む)に、
関心を持つ事は私も屡々有ります。

その結果として、その人が用いている持ち物に、
その人の印象が結び付けられてしまうこと
(心理的相関)は有ります。
然し、その結びつきの"強度"(強い・弱い)には差が有ります。

又、その相関に普遍性や必然性が常に有る訳ではありません。

fuzitasoftさんの言う
「一部が悪く目立つと全体のイメージが悪くなる」というのは、
かなり強い心理的相関が見出せる場合でしょう。

然し、その様な心理的相関は必然的でも普遍的であるとは断言出来無いので、
それを客観性の高い主張とするためには、統計を示さなくてはいけません。


参考として、以下に、統計データを確認できる二つの読物を紹介しておきます。

「ブランドに対して愛着が強い程,消費者はそのブランドに縒り強い信頼感を持ち得る」(Thomson & Park, 2005)。

「ブランドに関する不祥事が明るみになった際,愛着が一つの緩衝剤となり,愛着を感じている消費者程,そのブランドに因る不祥事を容認しがちである」(Schmalz & Orth, 2012)。

Thomson, M., MacInnis, D., & Park, W. (2005). The ties that bind: Measuring the strength of consumer’s emotional attachment to brands. Journal of Consumer Psychology, 15, 77-91.
(https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1057740805700954).

Schmalz, S., & Orth, U. R. (2012), Brand attachment and consumer emotional responses to unethical firm behavior. Psychology & Marketing, 29, 869-884.
(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/mar.20570).

投稿日時 2020/01/04 05:45

回答補足

【正誤3】
【§9】
誤1:既に削除されている雑誌「GOETHE」ウェブ版
正1:既に削除されていますが、雑誌「GOETHE」ウェブ版

誤2:その意味で、この具体例から引き出せる観点は、
正2:その意味で、この具体例から引き出せる観点では、

誤3:という判断は、短慮な意見と言えます。
正3:という判断を短慮な意見、と言い得ます。

投稿日時 2020/01/04 06:22

回答補足

【追記2】
誤解が有るかもしれませんので、追記します。

先ず、Terre_des_Hommeさんの言う≪「寄せられる」「ひねくれた(?)回答」≫に、
相当するものが具体的に何方のものが当たるのかは措くとします(Terre_des_Hommeさん, 投稿日時 2020/01/05 23:42)。

私自身は「ひねくれた回答」を寄せた積りは有りません。
私はfuzitasoftさんの言葉をその通りの意味で理解しようと努めました。

確かに、「§16」で述べた様に、fuzitasoftさんの質問の本意(=本来の意図)に関しては、≪「勘繰り」ました≫。
しかし、fuzitasoftさんが問題にしていた「相関」の意味に関しては、
「§4」で留意した様に、日常語の意味で了解しようと試みています。

仮に、日常語の範囲を『三省堂 大辞林 第三版』(https://www.weblio.jp/)での定義に制限する、とします。

そこでの「相関」の意味は、私が「§4」で最初に述べた≪日常語としての「互いに関係している」と言うだけの意味≫に当たります。

…で、実際に、それを確認すると、
「二つのものの間に関連があること。互いに影響し合うこと。」
と有ります。
(Weblioの「相関」, https://www.weblio.jp/content/%E7%9B%B8%E9%96%A2)。

言い換えれば、私は最初から「統計学的な相関」での「相関」の話をしようとしていた訳ではありません。

しかし、実際に、
Terre_des_Hommeさんの言う≪「相関関係」なんて無駄にひねくれた言い方≫に当たる質問、
詰まり(=で繋ぐ)、
fuzitasoftさん の質問「カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係はあると思いますか」
を日常語の意味の範囲で理解しようとすると、
個々の言葉の意味は理解出来ても、"それらの言葉で成り立つ一文の意味"が示す"論理的な正しさ"に関しては、疑念を持たざるを得ません。

これは日本語として間違っている、
詰まり、文法や修辞に問題がある、
のではありません。

先程、この追記でも視た様に、「相関」の意味を日常の意味に限定しても、
"理解に苦しみ"ます。

どこが理解に苦しむのか、というと、
一番は「互いに影響し合う」という所です。
次が「二つのものの間に関連がある」です。

ですから、Terre_des_Hommeさんが述べた様に、
≪単に「関係」と質問すれば良いだけ≫だった、と言うのは妥当です。

その意味では、「相関」の意味の一部である、
「二つのものの間に関連がある」を含意するだけで済みました。

その「関連」の意味する処のものは、
Terre_des_Hommeさんが正しく理解してくれた様(「avatarofvirtuesさんの言葉では心理的因果に相当しそう」)に、
心理的因果の前提となる"心理的相関"として理解可能です。

ところが、「相関」を「互いに影響し合う」の意味で解釈してしまうと、
「§6」で述べた「逆向きの因果≪結果B→原因A≫」の意味を含んでしまいます。

例えば、「ゴールドカードを持つと、カード・ホルダーの行動は、ゴールドカードを持つに相応しい行動に変わる」を意味することになります。

生活習慣や価値観など、凡そ「行動」と呼びうるに値する多くの事柄に、
「カードのステータス」が影響を与える効果が有る、とまで言わしめてしまいます。

この意味を含むと、何らかの"或る程度信頼に足る論拠"を出さなくてはいけなくなります。

尚、この表現では「あらゆる」(全称)、「一つの」(単称)や「特定の」(特殊)当の量化を示していませんが、
示されていない場合なので、最も意味が強い「あらゆる」を付けて解釈して構いません。

ここで、何の違和感も持たず、カードステータスの影響力の強力さを素直に受け入れる方には、私の言葉で示される論理は完全な無力です。

詰まり、【「相関」という語を用いると、統計云々を持ち出す迄も無く、
日常語の意味の範囲で、論理的な理解を阻む一文を作りかねない】訳です。

自画自賛で申し訳有りませんが、【】で括った部分は色々な場面で使える良い発見ですね。
御蔭様で、良いフレーズを見つけることが出来ました。有難う御座います。

「統計学的な相関」を持ち出されなければならない理由は、上述の様な難点が有るにも関わらず、
fuzitasoftさん の質問である
「カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係はあると思いますか」
を"論理的に正しいもの"として解釈しようと努力する場合です。

そうした努力を最初から放棄する場合、
fuzitasoftさん の質問中の「相関」という語を、"文字通り"(="日常語の範囲で")理解することを放棄することになります。

これらの努力を回答者である私が行っている事は、取りも直さず、
fuzitasoftさん の言葉を出来る限り合理的なものとして、
解釈しようと気を配っている事実を示しています。

投稿日時 2020/01/07 11:05

回答補足

【追記3】

仮に、最初から私が「ひねくれた回答」をする気であったなら、僅か数行で、それを言い表した、と思います。

「捻くれる」
(https://www.weblio.jp/content/%E6%8D%BB%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%8B)
という言葉の意味に"「良い意味」が有る"とは思えませんが、

その意味の解釈に要する範囲をもう少し長く取り、
≪ひねくれた言い方をするからひねくれた(?)回答が寄せられるのであって(もちろん、良い意味で「ひねくれた回答」です!)≫を一纏まりで解釈し、

「ひねくれた」の意味を、数理的にも意味的にも「負(-)」とすると、
負の"入力"(質問)に負の"出力"(回答)を返す正の相関とか、
線形な関係になってるだけ、と受け取ることにします。

また、私が配慮しているのは、質問者のfuzitasoftさんだけではなくて、

 0. 相関を「無い」と述べている、EASさんや 
 1. 相関が「有る」と述べている、justo2さん、又
 3. 相関に関する「有無」を明確に述べていない、Cembaloさんとibexさん

ら、三様の見解が同時に表れている、眼前の
"現象を救う"「回答」を私は試みています。

 「相関」に関して言えば、0と1とは認識が対立していますから、
 それらが断言されていない3に関しても、認識が分かれている
 この現象が何故、実際に成り立っているのかを、
 私は回答しています。

尤も、「相関が有ると思えば在る、無いと思えば亡い」(心理的相関)
とだけ言い放つのも、間違いではありません。

併し、それでは"実に身"が無い("蓋"に相当するものは一応有る)ので、
それらにも配慮しています。

Terre_des_Hommeさんの、
「なんとなくですが、このご質問は(様々な体験談を聞く事によって)AMEXゴールドの解約の方向に向かう気持ちを後押しして欲しい心理に端を発するのではないかなという気がしました」
という感慨も、十分得心のゆくものですが、
それが本意だとすると、それは実際の質問での文意と乖離していることになります。

松の内の第一期が終わりです。
私もそろそろ回答の時間が取れなくなってくるかもしれません。

尚、「追記1」で私が述べた
「私が関心を向けている人物の事を知る為に、
 その人物が使ってる持ち物(クレジットカードを含む)に、
 関心を持つ」
という観点で、実際に心理(印象)測定を行う場合の尺度をどうするか、
を示しておきます。

これは、特定の事物に自己同一性がどの程度投影されているか、に関する調査ですから、
Mugge, Schoormans, and Schifferestein(2009)の「自己表現性尺度」が使えそうです。

Mugge R., Schoormans, J. P. L., & Schifferstein, H. N. J. (2009). Emotional bonding with personalised products. Journal of Engineering Design, 20, 467-476.

投稿日時 2020/01/07 11:08

回答補足

【追記4】:fuzitasoftさんからの返信(投稿日時 2020/01/08 13:20)に対する返答I

fuzitasoftさん、返信有難う御座います。
長い回答を寄せて、申し訳有りません。

既に判っていることだと思いますが、
何故、回答が長かったのかというと、
質問文をそのまま理解するのは困難だったからです。

しかし、fuzitasoftさんからの返信(投稿日時 2020/01/08 13:20)を診るに、
私が寄せた回答の意味が正しくfuzitasoftさんに伝わっているようで安心しました。

「投稿日時 2020/01/08 13:2」での、fuzitasoftさんからの返信で、
その質問の意味と意図とが、かなり明瞭になっていますが、
以下に、それをもう少し整理します。

 質問:「カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係はあると思いますか」(投稿日時 2019/12/31 20:55)
 0.「質問の意図」は、その≪「相関関係の有無」を確認する≫"ことに在った"(「ため」という表現を改修)。
 1.「体験談の提示を要望した理由」は≪「相関関係の有無」を確認するため≫
 2.≪「こういう考え方もあるよ」という回答を期待していた≫
 3.≪「相関関係」という表現があまり適切ではなかったように今回感じました≫
 4.「今回」の質問での≪「相関関係」という表現≫は「二つのものの間に関連があること」を「質問しております」。
 5.「今回」の質問での≪「相関関係」という表現≫は≪「互いに影響しあうこと」ではありません≫。

以上の様に、主述や指示関係を明示しますと、かなり意味が明瞭になります。

既に示した回答では、複数の現象を救うために、便宜的に、
「心理的因果関係」という表現を私は使いました。

…が、そういう表現を使わなくても、
質問の意味が、出来るだけ一意に定まる形でなされれば良かったと思います。

…とだけ言って、その例を示さないのは不十分でしょうから、
fuzitasoftさんの意図を出来るだけ反映した妥当な質問文を具体的に示してみます。
元の文から、徐々に問題箇所を取り除いて、本来の意図を反映した適切な文にしてゆきます。

------------------------------------------
元の質問文:カードホルダーの行動とカードの印象(ステータス)に相関関係はあると思いますか

軽度の改修1:カード・ホルダーの行動とカードの印象に関係はあると思いますか

軽度の改修2A:特定のカード・ホルダーが為すあらゆる行動と特定のカードに関する全体的印象とに関係はあると思いますか
軽度の改修2B:特定のカード・ホルダーが為す特定の行動と特定のカードに関する特定の印象とに関係はあると思いますか
軽度の改修2C:特定のカード・ホルダーが為す特定の行動と特定のカードに関する全体的印象とに関係はあると思いますか
軽度の改修2D:すべてのカード・ホルダーが為す特定の行動とあらゆるカードに関する特定の印象とには関係はあると思いますか

軽度の改修3:カード・ホルダーの行動とカードの印象とを関係付けておられますか
軽度の改修3A:特定のカード・ホルダーが為すあらゆる行動と特定のカードに関する全体的印象とを関係付けておられますか
軽度の改修3B:特定のカード・ホルダーが為す特定の行動と特定のカードに関する特定の印象とを関係付けておられますか
軽度の改修3C:特定のカード・ホルダーが為す特定の行動と特定のカードに関する全体的印象とを関係付けておられますか
軽度の改修3D:すべてのカード・ホルダーが為す特定の行動とあらゆるカードに関する特定の印象には関係とを関係付けておられますか

重度の改修1:特定の人物の行為に関する印象を、特定のカード(個物)に関係付けた経験はお有りですか
重度の改修2:特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を、特定のカード(個物)に"投影"した経験はお有りですか
重度の改修2の拡張1:特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を、特定のカード(個物)或いは特定のカード・タイプ(抽象的対象)に"投影"した経験はお有りですか
重度の改修2の拡張2:特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を、特定のカード"・ステータス"に"投影"した経験はお有りですか
重度の改修2の拡張3:特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を、特定のカード(個物)や特定のカード・タイプ(抽象的対象)、或いは特定のカード"・ステータス"に"投影"した経験はお有りですか
----------------------------------------------------

投稿日時 2020/01/09 14:30

回答補足

【追記5】:fuzitasoftさんからの返信(投稿日時 2020/01/08 13:20)に対する返答II

軽度の改修1では「相関」という語を除去。また、全称性を帯び易い「ステータス」という語も"一度"除去。
軽度の改修1では、問いの対象の範囲を絞るための「量」に関する修辞を加えている。
軽度の改修3では、
普遍的、客観的事実に関する問いを思わせる「関係はあると思いますか」という表現を、
主観的、心理的な意味に留めておける問いを思わせる「関係付けておられますか」という表現に置換。

上記の改修文でのA、B、C、Dはそれぞれ微妙に意味の範囲が異なります。
心理的な関連付けではどれも、"起こりうる"のですが、
経験談を付す事で、凡そ妥当な回答を示しやすい質問の形式としては、
Bが一番かと存じます。
但し、印象に関して、全体的だとか特定だとかは最早程度問題でしかなく、
心理的な関連に留まる質問としてはCはBの許容範囲だと思います。

BやCの問いに関する回答では、偶々印象に残った単一の経験だけ挙げれば、
十分妥当な回答になるからです。

Aは、特定のカードホルダーの行動を例外なく、カードの印象に結びつけてしまう習性についての質問になっています。
質問文自体に間違いは有りませんが、些か答えにくい質問文です。

Dは、特定の経験に留まらず、カードに纏わる経験一般に関する例外の無い当事者の習性についての質問になっています。
こちらも質問文自体に間違いは有りませんが、同様に、答えにくい質問文です。

人物に関する印象と、行為に関する印象とは、本来別ですが、
元の質問では、「カード・ホルダー」の印象は、その行為に関する印象と既に結び付けれている前提になっているので、
重度の改修1では、
「行為と切り離された人物その人自体の印象」は問わない表現にしています。
詰まり、"人物=行動"とし、その一組を数え上げの単位にしています。
「特定の人物」と「特定の行動」とは互いに置換可能なものとして前提されています。
「特定のカード」と言っても、実際には未だ不明瞭です。
文字通り受け取れば、当に、その人物が使っていた、そのカード"だけ"を指し"同じ物は別に無い"わけです(特定の個物、"トークン"という概念)。

重度の改修2では、
さらに、問題の人物の範囲を限定し、印象が単に"抱かれたものに過ぎない"事を明示しています。また、印象と行為との関係付けを"投影"に留めて、
両者に関する必然性を含意しない形に直しています。
★投影(https://www.weblio.jp/content/%E6%8A%95%E5%BD%B1)

重度の改修2の拡張1では、先の改修2縒りも、妥当な回答が集め易く意味を拡張しています。
「特定のカード」が特定の物理的個物を指すものであるのに対し、
「特定のカード・タイプ」は、時間的・空間的な延長性を持たない抽象的対象であり、そのの中でも部分的に意味が限定されたもの(集合)を指すと考えて下さい。

両者を具体的に対比して述べます。
「特定のカード」を「avatarofvirtuesが貸与されているカードであり、そのカード裏面にはavatarofvirtuesの署名が在り、カード表面には、利用者名としてのavatarofvirtuesの名が刻印されている当にそのカード」を意味するとした場合、
「特定のカード・タイプ」とは、「avatarofvirtuesが貸与されているカードと同等のカード一般であり、署名、刻印された利用者名、有効期限等の違いは有れど、同じものと看做されるカード」と言えます。

更に、"特定の"カード名を挙げた方が縒り明瞭になります。
 特定のカード:avatarofvirtuesが貸与されている『アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カード』だけを指し、avatarofvirtues以外の人物が貸与されている『アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カード』は含まれない意味の集合。
 特定のカード・タイプ:『アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カード』全て。avatarofvirtuesが貸与されている『アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カード』だけでなく、avatarofvirtues以外の人物が貸与されている『アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カード』も等しく含む意味の集合。

この様に意味の違いが有ります。
この違いを質問文に於いて、縒り具体的に明示するならば、
「特定のカード・タイプ」を「特定のカード名」とする方が判りやすいでしょう。

重度の改修2の拡張2では、
複数の「カード名」を含み得る「カード・ステータス」一般に、質問の対象範囲が拡張されています。
この拡張文では、fuzitasoftさんの元の質問文を改修する最初の段階で、
一度除去された「カード・ステータス」を適切な形で再度導入し、
fuzitasoftさんの元の質問文を再構成できる様に配慮されています。

重度の改修2の拡張3は、fuzitasoftさんの元の質問文を過不足無く活かす形
で再構成したものです。

以上を踏まえると、
「特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を、
 特定のカード(個物)や
 特定のカード名(抽象的対象)、或いは
 特定のカード"・ステータス"
 に"投影"した経験はお有りですか」
という質問文が妥当であった様に思われます。

勿論、「投影」という表現ではなく、
「関連付け」や「関係付け」としても妥当です。
そして、この質問文には「相関」や「心理的相関」、
「心理的因果」という語は使われていません。

投稿日時 2020/01/09 14:37

回答補足

追記6】
さて、「追記6」及び「追記7」に措いて、
fuzitasoftさんの質問の本意と、それを示す適切な文が提示された事で、
回答は実に素直になる、と思います。
詰まり、それに応ずる経験・体験談の提示はし易い、と言えます。

改修されたfuzitasoftさんの
質問:「特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を、
    特定のカード(個物)や
    特定のカード名(抽象的対象)、或いは
    特定のカード"・ステータス"
    に"投影"した経験はお有りですか」

avatarofvirtuesの回答:
文字通りには、有りません。

但し、「特定のカード・ホルダーの行為」を
「特定のカード・ホルダーの経験」に置き換えると、
「特定のカード名(抽象的対象)」だけでなく、そのカードを発行している
カード会社に関して特定の印象を抱いたことが、私には有ります。

2016年にコペンハーゲン空港を経由した際、
私の同行者が持つ『楽天プレミアムカード』付帯の
有効期限内のプライオリティパス(以下、PP)が無効扱いになった
事を私は目撃しました。

それを見た私は、その時、自分が持っていた
PPの有効性に疑念を持ちました。
当時の私のPPは『いよてつ高島屋プラチナローズカードJCB』
付帯のもので、「今のところ、大丈夫だけど、今日は弾かれるかも…」
と思いました。

同行者のPPが弾かれても、私のPPは弾かれませんでした。
当時は、他のPPを持ち合わせておらず、
同行者も先のPPのみを持っていただけですので、
私のPPを用いて、同行者を私のPPの同伴者扱いで、
入室・利用をさせて頂いた経験が有ります。
後日、2160円の同伴者料金の請求がきっちり有りました。

但し、同日の同行者は至る所で、
『楽天プレミアムカード』を利用出来ていたので、
一層不可思議に思ったものです。
当人にとっては良い経験とは中々言い難い、と思います。
『楽天プレミアムカード』を使い続ける同行者を傍で見ている私も、
その人が決済する度に、不安を覚えました。

これだけなら、たった一度の"印象"で済みます。

併し、詳細は伏せますが、同社のカードに付帯していた
動産総合保険の適用が断られた等、
他の様々な個人的経験が積み重なって、
「楽天カード株式会社は、色々と不安を感じさせるカード会社だな」
という"認識"を持つに至っています。
そうなると、単なる"印象"に留まらないわけです。

この同行者の"経験"を"行為の結果"とした場合、
行為に関する質問の回答としては、"有る"とせざるを得ないのですが、
この同行者の経験に抱いた印象の本質的な帰属先は、
この同行者ではなく、カードそのものの欠陥だとか機能不全
に当たります。

ですから、矢張り、質問に対する回答としては、
「有りません」となる様に思えます。

同様に、個人の行動と切り離された
「特定のカード名(抽象的対象)」に関しては、
何らかの印象(寧ろ、理解)を持ってます。

こちらは枚挙に暇が無い程(笑)。

例:「エポスカードはアパホテルで役に立つ」という印象。
  但し、この印象はエポスカードの実際の機能と一致する。

勿論、逆に「…は何なんだ?」と不図思うこと(一瞬の印象)は屡々有ります。

ただ、それらの諸印象の中で、
妥当な印象とそうでない印象とを論理的に篩い落とす、
ことが習慣になっています。

特定のカードを使い続けている人物を、
観察し続けている人は、
そのカードとそれを使い続けている人物とを結び付けて考える、
のが習慣になっているので、
「特定のカード・ホルダーの行為に抱いた印象を
 特定のカード(個物)や特定のカード名(抽象的対象)、或いは
 特定のカード"・ステータス"
 に"投影"した経験は」
有るのだろうなぁ、とは思います。

長くなりましたが、
「こういう考え方もあ」ります。


一応、断っておきますと、
私は他者の発言で、誤字、脱字等の間違い、
主語や目的語等の省略が有っても、
容易に正しいものが一つに特定できる場合、
その箇所を殊更指摘することは有りません。

但し、そうした難点が発言中に有り、
容易に正しいものが一つに特定でき"ない"場合、
その箇所を指摘することは有ります。

又、発言の内容が単純ではない場合、
そういう難点は放置すると、
内容の理解は、縒り一層単純ではなくなるので、
仕方なく、指摘することは有ります。

それらの指摘は、難点の有る発言をした当人の意図を
正しく把握する為であって、他意は基本的に有りません。

投稿日時 2020/01/09 14:46

fuzitasoftさんからの返信

avatarofvirtuesさん、回答ありがとうございます。

結論から申し上げると、真面目な質問となります。
普段から、自分と同じカード会社の
カードを持っている人に対して親近感が沸いたり、
逆に違うカードだとどんな
カードなんだろうと興味を持ったりします。

そのため、今回の体験は私は残念な気持ちになりました。
私の中のAMEXに対する印象も少し悪くなった気がしますし、
世間のAMEXに対する印象も悪くなると思います。
別の回答にあった「気にし過ぎ」というのもその通りだと思いますし、
一部だけで全体をイメージするのもいいことではないと思います。

しかし、一部が悪く目立つと全体のイメージが悪くなるのも事実だと思います。
今回はAMEXを例にしましたが、それは他のカードでも同様だと思います。
特に、ブランド力があるカードほどその傾向が強いと思います。

投稿日時 2020/01/02 12:06

fuzitasoftさんからの返信

avatarofvirtuesさん、回答ありがとうございます。

今回は対人論法や心理的因果についての解説をありがとうございます。
とても勉強になりました。

avatarofvirtuesさんの回答は、前回と同様に、
言葉を分析した回答であると私は受け止めております。

全称に確証が得られなければ、
常に関係があると指摘することはできないと理解しました。
そして、今回の質問の意図としては、
「相関関係の有無」を確認するためにした質問であることに誤りはございません。
しかし、私は単に有無を知りたかったのではありません。
ここに、体験談の提示を要望した理由があります。
つまり、「こういう考え方もあるよ」という回答を期待していたということです。
そのため、avatarofvirtuesさんがおっしゃるように
解約を後押ししてほしいという理由の質問ではないということです。
私の体験談は、回答例として提示することが目的でした。

また、「相関関係」という表現があまり適切ではなかったように今回感じました。
avatarofvirtuesさんがおっしゃるように、「二つのものの間に関連があること」について
今回は質問しております。
「互いに影響しあうこと」ではありません。
avatarofvirtuesさんの回答を受けて、
「心理的因果関係」という表現の方が適切だったと感じております。

投稿日時 2020/01/08 13:20

fuzitasoftさんからの返信

avatarofvirtuesさん、返信および回答ありがとうございます。

今回の経験で私の文章力のなさが分かった次第です。
勉強のいい機会になったので、今回質問してよかったと感じております。
また、avatarofvirtuesさんの回答を私が
理解できていることを確認できたのもよかったです。

「カードホルダーの経験→カード会社への印象」は私もあると思いました。
特にトラブルが積み重なると(トラブルの大きさではなく回数)、
不信感しかなくなると思います。

話がそれます。
PPの件ですが、
私がPPを使えなかった本人だとしたら、その場でカード会社に連絡します。
それは、その場で連絡したほうが記憶も鮮明であり、
状況を適切に報告することができるからです。
また、同行者が使えるということは、
高い確率でカード会社に問題があると私は判断するからでもあります。
事後報告だと「今は使えているので、申し訳ございませんでした」で
話が終わってしまう(納得できる回答が得られない)ことも危惧しています。
仮に同行者がいなかったとしても、
窓口はカード会社なのでまずはカードデスクに即時連絡してから考えます。
それには直ぐに対応してもらえる問題であるという期待も込められています。
もちろん、その時のカード会社の対応に強い不信感を感じることがあれば、
今後どうするかを考えることになると思います。

投稿日時 2020/01/12 07:49


この回答は役に立ちましたか? 
2人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
回答ID:53505 今年度質問ランキング:-位 今年度回答ランキング:-位

回答内容

同じカードを持っているだけで同じ様な人間という判断はいかがなものかと。
クレジットカードに限らず人の一部を見てその人を分類するのでは、その人の事をわかろうとしていないという事ですよね。


もちろんカードの特色で、
百貨店系なら「ファッション好きの人かな?」とか、
航空系のカードなら「旅行好きの人、もしくは出張の多い人かな?」
なんて言うにであれば良いですけど、
「アメックス持ってるから〇〇な人だろう」
はあまりにも・・・

投稿日時 2020/01/01 02:21

回答補足

批判的に聞こえるかもしれませんが、純粋な質問というか疑問なのですがよろしいですか。


一般的に嫌な人が高価格なものを持っていると、
嫌な態度の人→高額なものを持っている人
と関連性がある様な捉えられ方をする場合が多い様に見受けられます。
でも矢印が逆になるのは??


もし今回の件が年会費無料のカードだったら同じ様に思われたのでしょうか。
また、カード以外の部分はどうだったのかな。
態度の悪い人の、
・腕時計が〇〇だった
・車が〇〇だった
・バッグが〇〇だった
とか。

もし態度の悪い人が日本人であなたが日本人でなかったら、
「日本人は態度が悪い!」
となっていたのかな。

アメックス・ロレックス・ベンツ・ヴィトンなど、この手の批判の対象になりやすい気がしますが、純粋にそのブランドが気に入っている人からすると残念な気持ちで一杯になります。


まぁ、上記ブランドは「いかにも」な感じがするのは確かなので、会う人によって時計や車を変える事もあるけど・・・

投稿日時 2020/01/02 14:20

回答補足

> 私は逆に、自分がAMEXホルダーであるからこそ、
> 残念な気持ちになった次第です。


お気持ちは分かりますが、気にしない方が良いですよ。
自身に恥じることがなければ、たまたまカードのブランドが被っただけ。


> カードにブランド力があるか否かであると考えています。
> 特にこだわりを持ってチョイスするようなカードです。

これもまぁ、こだわり方も人それぞれですからねぇ。


私の知っている人間でセンチュリオンやロレックスを持っている人がいましたが、
取得した時にまず、「これいくらだと思う?」なんて言ってくるので大嫌いでした。


私もセンチュリオンもロレックスも持っていますが、希少性やブランドの歴史・デザインなどを
人に話すことはあっても、価格を表に出して話すことなんてないです。

センチュリオンに関しては「ブラックカード」の語源ともなり、他社も真似してどんどん黒いカードを出し年会費無料の黒いカードまで存在する。
でもそんなクレジットカードの頂点的存在だから欲しいと思ったわけで、年会費が高いから欲しかったわけじゃない。

なので上記の人間と同属性と思われるのは非常に心外ですが一般的な心理としては仕方ないのかな。
目立つものを身につける以上、それに伴う責任が発生するのかもしれませんね。

投稿日時 2020/01/03 02:25

fuzitasoftさんからの返信

Cembaloさん、回答ありがとうございます。

人の一面だけでは、その人を判断するのは
確かに良くないと思います。
第一印象は重要ですが、
それだけで人を決めつけてはいけないと思いました。

投稿日時 2020/01/02 11:53

fuzitasoftさんからの返信

補足ありがとうございます。

>この手の批判の対象になりやすい気がしますが、
>純粋にそのブランドが気に入っている人からすると残念な気持ちで一杯になります。

私は逆に、自分がAMEXホルダーであるからこそ、
残念な気持ちになった次第です。

>嫌な態度の人→高額なものを持っている人

こちらについては、私は関係ないと考えております。
高額なものを持っている人でも、
いやな態度の人もいればそうでない人もいると思います。
逆もしかりです。
しかし、高額なものを持っていて更に態度が悪いのが
一番印象が悪いのには同感です。
その逆に高額なものを持っていて態度が良いのが
一番印象が良い気もします。

>もし今回の件が年会費無料のカードだったら同じ様に思われたのでしょうか。

年会費無料かどうかよりも、
カードにブランド力があるか否かであると考えています。
特にこだわりを持ってチョイスするようなカードです。
例えば、JCB、ラグジュアリーカード、ダイナースクラブカード、他。
ブランド力があるからこそ、
良い印象や悪い印象が強調されやすいということです。

投稿日時 2020/01/02 14:42

fuzitasoftさんからの返信

Cembaloさん、捕捉ありがとうございます。

自分自身がカードホルダーとして、
恥じることが無いように気を付けたいと思います。

ブランド物を愛用している方の大半は、
そのブランドに共感を持っていると私は信じております。
私のメインカードはJCBですが、
それはJCBに魅力を感じたからです。
そのため、Cembaloさんがおしゃる通り、
その物の価値について比較するのは論外に感じました。

やはり自分が気にし過ぎだということが、
今回質問して分かった次第です。

私は目立つのは嫌いではありませんが、
それに恥じないようにしたいと思います。

投稿日時 2020/01/03 06:11


この回答は役に立ちましたか? 
2人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
回答ID:53504 今年度質問ランキング:-位 今年度回答ランキング:-位

回答内容

こんばんは
フランスのデパートで、約束20年前にクレジットカードを利用する時に、サインを確認する方が見比べていました。
日本では、カードに署名が有るのか、署名欄の筆跡を見比べられた事は、1度も有りません。
このカードホルダーの行動は、今迄の加盟店が不適切だっただけで、カード発行会社には、解約する様な理由は感じられません。
カード発行会社がおなじなだけで、ご自身は堂々と決済出来無い理由も分かりません。

投稿日時 2019/12/31 23:11

回答補足

約束20年前では無く、約20年前が正しいです。

投稿日時 2019/12/31 23:16

fuzitasoftさんからの返信

ibexさん、回答ありがとうございます。

カード会社に問題があるというわけではなく、
カードホルダーの行動がカードのイメージを悪くさせているのではないかと
思い質問させていただきました。

確かに私の気にし過ぎが一番の原因なので、
堂々と決済すればよいだけの話だと思います。

投稿日時 2020/01/02 11:50


この回答は役に立ちましたか? 
1人の方が、「この回答が役に立った」と投票しています。
スポンサード リンク